2021-01-20から1日間の記事一覧

意味

今日はできなくても明日はできるという希望と信頼があるから、日々の不完全さにも耐えることができる。

喰始(モンティ・パイソン)

まず病状を、そして治癒はなく、大ショックを与え、すぐに幕を閉じてしまう。 これがカーニバル性の置き去り手法である。 参考 「モンティ・パイソン研究入門」 マーシア・ランディ 著

「存在論と認識論」試論

「裏をかく」(存在と認識)とは、「裏が見えていないこと」(認識)ではなく、「裏があること」(存在)を「知っていること」(認識と存在)だ。 だましと予測、新境地は、こうして存在と認識、認識と存在の間(可換)にうまくバランスよくあらわれる。

デジタル

日本のデジタル化は欧米主体の真似であるゆえにガラパゴス化しており、主体的な一元化の方向は存在していない。