認識格差

「物」は潜在する「労働の対象物」だが、生活の諸手段として幅広くとれば、それは「実存的」である。

では物はなぜ労働の対象物だけではなく、実存の対象でもあるのか?

そこには格差社会という不幸がある。それゆえ「物の認識」がちぐはぐになっているのである。

生産と消費は認識格差により、こうして幸福に貢献出来ていないのである。